映画『ナラタージュ』感想【ネタバレあり】|恋は人を狂わせる
どうも、郁(かおる)です。
映画『ナラタージュ』、見てきました!
映画館に映画を見に行くのは久しぶりで、3月か4月に『モアナと伝説の海』を見に行ったのが最後かな?
行定勲の監督作品を観るのは2015年の『ピンクとグレー』以来。
妹と見に行きました。
平日の夜ということもあり、公開からまだ日は経っていませんでしたが劇場はそれほど混んでいることもなく。
松潤が出ている、また恋愛ものだからか、観客のほとんどは女性でした。あとはカップルが数組。
見終わった後に余韻に浸れる作品で、いろいろと考えてしまいました。
それでは、早速感想を書いていこうと思います!
なお、感想には作品のネタバレが含まれますので、これから鑑賞する予定のある方は読まないほうがいいかと思われます。
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以下、感想です。
印象的な描写「雨」「裸足」
見てもらえると分かるんですが、ストーリーのカギを握るシーンではいつも雨が降っています。
泉が高校3年生の時に初めて葉山先生に声をかけられたシーン、泥酔して車の中で動けなくなった葉山先生を泉が見つけるシーン、泉が小野君の告白を断って彼の家から飛び出すシーン、小さな映画館(調べてみたらミニシアターって言うみたいです)を出て傘を持っていない泉が葉山先生と相合傘で映画館を後にするシーン。
この作品の中で雨の降る情景は何を意味しているんですかね?
こうしてぱっと並べてみると普通に考えて泉の感情が大きく動くシーンなんでしょう。
作品の冒頭に、時を経て社会人になった泉が自分の勤める会社の窓の外に降る雨を見ながら物思いに耽るシーンからも、やはり感情を揺さぶられるような激しい恋を思い出しているといったところなんですかね。
この作品全体として、なんだかアンニュイな雰囲気と言いますか、胸が苦しくなるような切なさを帯びているのにそれでいていつまでも終わってほしくないと思ってしまうような、不思議な雰囲気を持っている映画だなあと感じたんですが、そういった感覚を一番強く感じたのが雨のシーンでした。
泉の肩にかからないぐらいの髪が雨にしっとりと濡れた感じと物憂げな表情に、何とも言えない美しさと色気があって、うっとりとしてしまいました。
雨が降るたびにきっと、泉はこの頃のことを思い出すんだろうなあ。
そう思うと、雨っていうものの切なさを強く感じますね。
雨って本当に、感じ取る人によっていろいろな意味を持っていると思う。
喜び、悲しみ、怒り……、こんなに様々な感情と結びつくなんて、雨ってなんだか不思議。
また、個人的に気になったのが、素足を映す演出。
途中小野君の家で彼が作った靴を泉が履くシーンがありますよね、あれのインパクトが強かったからかなあ、なんとなく素足の足元が大きく映るシーンが意図的に多く入れられている気がして。
これは本当に私の直感的な考えなんですけど、泉が小野君に別れを告げて靴を脱いで裸足で葉山先生のもとへ向かうシーン、あそこを印象的にするために全体でことあるごとに素足をフォーカスしてるんじゃないかなあなんて。
あのシーンもさあ、見ている側として一番大きい感情は「切ない」「苦しい」「可哀想」とかなんだろうけど、どうしてもそこに美しさっていうか、画面から放たれる艶っぽさみたいなものに浸らずにはいられないんだよね。
「寒そう!」「足が壊死するよ!」「おい小野ふざけんなこの野郎!」っていうのはそりゃ間違いなくあるんだけど、半分ではこの救いようもないワンシーンに何とも言い表せない美を感じてしまっている自分がいて。
素敵な場面でした。
裸足で歩いてきた泉を見つけた葉山先生が、泉の冷え切った足を手のひらで包み込んで
「何やってんだよ」
って呟くシーンもよかった。
泉が葉山先生にとってどれだけ大切な存在なのかとか、葉山先生の優しい人柄とかがすごく感じられる動作と一言だった。
葉山先生の一言は泉に対するものだったのかな、それとも小野君に対するものだったのかな。
私は泉を辛い目に合わせた小野君への怒りを込めた一言だったんじゃないかとそのときは思ったんだけども、どんどん幸せから遠ざかっていく泉への言葉だったのかもな。
泉が葉山先生への想いを捨てられずに苦しい思いをし続けているのが自分のせいだということを葉山先生自身分かってて、それでもどうすることもできない自分への苛立ちって部分もあったのかな。
恋という感情は人を狂わせる
恋って怖い。
私が作品を見終わって一番に思ったことはこれに尽きる。
恋は人を狂わせます。
恋っていう感情に一度とらわれてしまったが最後、自分の行動を制御することが困難になってしまう。
物語の中盤以降の主要人物の関係を簡略に相関図にしてしまえばこうです。
小野 ―♡→ 泉 ―♡→ 葉山先生
テレビ雑誌のドラマ特集によくあるやつ。
泉は葉山先生に想いを寄せていた。
先生の本心は泉にはよく分からず。
しかしながら結局は、物語の最後に葉山先生自身が言っていたように、葉山先生の泉への気持ちは恋ではなかったのでしょう。彼が本当に愛していたのは、過去の事件で一度別れてしまった元の妻。姑とうまくいかずに心を病んでしまった彼女の事を、今も彼は愛している。彼女とその家族が事件から立ち直りつつある今、先生は彼女ともう一度やり直すことを決めました。
だから、先生には泉への気持ちはなかった。(泉への気持ちが恋ではないということに、当時の先生自身が気づいていたかどうかは別として)
気持ちがないにもかかわらず、先生は泉に対してこれでもかというほど優しくします。
熱を出した泉の家まで行き看病し、リンゴをすりおろしてあーんして食べさせたり。
このシーンのインパクトが大きすぎて他の例は思いつかないんですけども。
泉もきっと、先生は自分の事が女性として好きなわけではないということはわかっていたんだと思います。
それでもここまでされたら勘違いしちゃいますよね。
でも多分恋心ゆえの行動ではない。だとすれば何なのか。
多分先生に弄ばれている気持ちにもなるんじゃないかと思うんです。
つまり、泉は「自分が好きな人が、自分に対して気がないということは分かっているのにその相手から優しくされる」ということの辛さを分かっているはずなんです。
それでも、泉はそれと似たような辛さを演劇部で知り合った小野くんに味わわせることとなる。
これも一概には言えないと思うんですけど、私としては最初から最後まで泉は小野くんのことを「恋人として」好きではなかったと思うんです。小野君の帰省について行って、そのあと一人で夜行バスで帰るときに告白をOKしたのも、また後述するんですけど、先生への想いが実らないことへの苦しさから逃れるためにやったことなんじゃないかと。
自分のために小野くんを利用した、ってことではないかと思います。
そうだとすれば、泉は身勝手な行動で小野君の気持ちを弄んだことになる。
でも、きっと泉の人間性自体は優しい女性なはずなんです。看病のシーンで葉山先生も泉に「君は優しいから」と言っていた。
演劇の稽古中に様子がおかしい後輩を心配して声をかけるなど、他人を思いやることのできる人間だと思います。
それなのに、これほどまでに自己中心的な行動をとってしまったりする。
誰かへの恋心を抱いているという状況の下では、その人自身の人間性にゆがみを与えてしまったりもする。
「恋」という感情は、人間にとって必要不可欠なものでありながら、どこか異常なものなのかもしれません。
人間のダメなところが描き出された作品
前述したように、「恋」というある種の異常な心理状態の下での人間の弱さや脆さといったものがこれでもかというほど描かれた作品でした。
この映画を観ているとなんだか胸を締め付けられているかのような苦しさを感じるのは、こういったときにダメになってしまう人間の姿が自分にも重なるからだと思います。
自らも恋愛において自分のために誰かを傷つけた経験があると、いかに自分が自分本位の人間であるかを責められているような気にもなる。
ここでは、物語の主要な人物である葉山先生、泉、小野の3人について考えていこうと思います。
①葉山貴司の場合
この映画の登場人物は大体みんなどこかしらに精神的な傷を負っているんですが、葉山先生ももちろんその一人。
元妻が姑、つまり彼の母との関係の悪化に心を病んで家に火をつけた。(実際は燃えたのは倉庫のみ)結婚生活において彼女を守ってあげられなかったことを先生はずっと悔やんでいます。
そして、恋愛はもういいや、と思っている。ドラマとかでよくある「僕にはもう幸せになる資格はないんだ」的マインドですかね。
その荒んだ精神状態で新しく赴任した学校で出会ったのが泉。クラスで孤立し嫌がらせを受けていた泉を演劇部に誘ったことから、泉は葉山先生を慕うようになる。
泉に必要とされることで、先生自身、傷ついた心を癒すことができた。
ここまでならハートフルな先生と教え子の関係ですよね。
ただ、どうして(おそらく)泉への気持ちがないにもかかわらず、卒業式のときに自分から泉にキスをしたのか。
もちろん「自分は泉の事が好きかもしれない」という気持ちがまあったくなかったわけではないと思うんです。
でも一番大きいのは、泉の気持ちに答えてもっと彼女が自分を必要としてくれれば、この辛い思いに潰されそうな毎日から逃れられるかもしれないという期待だったんじゃないですかね。
言ってしまえば結局彼も自分のために泉の心を弄んだようなもの。
皮肉なのが彼の優しさですよね。
葉山先生は優しい。優しいからこそ、その反面泉は先生の気持ちを読めず結果的に心をえぐるようなことにもなった。
しかし、恋心ではないとはいえ、泉は彼にとって大切な存在だったことは疑いようのない事実だと思います。
彼が最後に泉に託した懐中時計にポルトガル語で刻まれていた「幸せであれ」という言葉がそれを物語っている。
葉山先生が懐中時計にその文字が刻まれていることを知っていたかどうかなんですが、私はきっと先生は知っていたんだと思います。
懐中時計は先生がまだ幼かったころ、彼の父親が先生に置いていったもの。先生が父の事をどう思っていたのかはわかりませんが、父と自分をつなぐ唯一のものだからきっとある程度大事にはしていたんじゃないかと思います。時計に何らかの文字が刻印されていることには気づいていた可能性が高い。ポルトガル語の刻印ですが、映画に詳しい先生はきっと外国語にも関心がないわけではない。意味を調べたこともあるんじゃないですかね。
「幸せであれ」
心から泉の幸せを願っているからこそ、先生はあの懐中時計を泉に託したんでしょうね。
②工藤泉の場合
さっきも書いたとおり、自分本位の考えで好きでもない相手に優しくする(小野くんと付き合ったこと)という行為に走った点について。
「自分が人からされて嫌な事は人にはするな」
という小さいときにみんなが親から躾けられるこの暗黙の人間社会の掟を全力で破る行為。
おそらく自分に好意を寄せていない相手を愛することを知っているはずの泉が、そんなに好きではない小野くんと交際を始めたこと。
帰りの夜道で知らない男に付きまとわれて恐怖を感じ小野くんに電話する場面で、小野くんに「俺のことそんなに好きじゃないくせに」と言われて、泉は「小野くんのことちゃんと好きだよ!」と言ってましたが、多分ちゃんと好きではなかったと思うんですよね。
泉も自分がそこまで小野くんに対して恋心を抱いていないことは心のどこかで分かっていたと思うんです。
ただ、自分が小野くんのことが好きだと思い込もうとしていた部分はあるんじゃないですかね。そういった思考ゆえのあの発言だと思う。
泉が小野くんに付き合おうって言いうのはシャワーでやり合うシーンの日の後でしたかね。記憶が曖昧。
あのシャワーのシーン、イコール泉が酔っ払った先生を車で送り届けたついでに先生の家に行くところでね、棚に並んでる映画の中に先生が好きじゃないって言ってた映画があると思ったら先生の奥さんが好きな映画だったり。
あそこできっと泉は「あ、私は先生と一緒にはなれないんだ」ってことを悟ったんだと思う。
ずっと好きだった人と結ばれることはないという悲しみ、苦しみ。
それを知った後に、先生に呼ばれて助っ人OBとして参加した文化祭の演劇部の舞台が終わる。
もうこれで会えない。
傷ついて沈んだ表情の泉に気づいた小野くんが、実家に帰省するから一緒に来ないかと誘ってくれて、彼の実家には温かい雰囲気が流れていて、笑顔になれた。
そうなるともう「あーなんかこういうかんじでいいんじゃない?私。」ってなる気持ちがめちゃくちゃわかるんですよね。
この人と付き合って、一緒にいれば、この苦しみも晴れるんじゃないかって。
よくあるじゃないですか。恋人と別れてハートブレイクなところを慰めてくれた人のことを今度は好きになっちゃうみたいな展開。
あ、うちの両親がこのパターンらしいです。
だから、さっきからずっと「泉は小野くんを利用した」って散々書いたんですけど、この時の泉はそんなこと思ってないんですよね。
小野くんの優しさに救いを求めたって感じかな。
そうやって小野くんと付き合い始めて、時間の経過とともに徐々に自分がやっぱり彼のことを大して愛していないことに気づいていく。
でもこの関係がなくなれば、一人で叶わぬ恋の悲しみを引きずる元の自分に戻ってしまうから、それでも小野くんと一緒にいないとっていう心理状態だったんじゃないかな。
ただ、泉の一番罪深いところが、「あ、私小野くんのこと好きじゃない」って目覚めたときに、できれば早めに本心を言って別れを切り出すべきだったんだよね。
そりゃあ「やっぱり好きじゃないから別れましょ」なんていったら小野くんも傷つくだろうけど、少なくとも小野くんをあんなクレイジーなメンヘラ男子に変えることはなかったでしょ。
夜中に葉山先生から電話がかかってきたことで初めて口論になるところとかのタイミングでそうすべきだった。
あそこからだよね、あんなに優しかった小野くんがおかしくなり始めたのは。
この作品の軸は泉の先生への想いだし、映像の美しさとか作品全体の儚げな雰囲気で泉の行動や考えが美化されがちだけど、泉がもっと別の行動をとっていれば、小野くんとの間であんな悲劇を生むことはなかったってのも忘れちゃいけないと思う。
だってこれから小野くんはきっとこのことをずっと引きずって生きていくんだぜ?
ここまでの話と関係ないけど、ずっと取ってあった卒業前に先生に宛てた手紙と先生と撮った写真を破ってタクシーの窓から捨てるシーン素敵だったよね。
紙屑がまるで花吹雪みたいに夜の景色に溶けていって。
別れの季節を象徴する花って言えば桜だけど、それこそ桜の花みたいで。
泉の先生との決別を表してる感じで美しかった。
まあ泉の心は全然先生から離れられてなかったんですが。
③小野怜二の場合
この映画は坂口健太郎が嫌いになる映画だと思う。
見るのも女性が多いだろうから、終盤の方の小野くんは「うわー最低!」ってなるところばかり。
でも、さっき言った通り作品全体で泉の視点が美化されるし、観客も泉に感情移入するから「最低」って思えるけど、よくよく考えたらこの人も相当可哀想だよね。
だってさ、好きで告白して一回断られたけどなんやかんやあってOKしてもらえて大好きな彼女が、本心ではほかの男のことが好きなんだろうなって感づいてて、彼女の行動や表情にもそれが出ちゃってたらそりゃあ不安定にもなるだろうよ。
ただその不安の現れ方が常軌を逸してたのが彼のいけなかったところだよね。
さすがに、
・知らない男に付きまとわれてる彼女を迎えに行かない。「もし迎えに行ったらもっと俺のこと好きになってくれる?」って
・別れを切り出されて土下座させる
・同時にその場で靴を脱がせて寒い中裸足で帰らせる
これはダメ!!
人間としてこの辺はどんな事情があろうと人に対してやっちゃダメだ!!
小野くんはこんなことやっちゃうようなクズ男だけど、彼には幸せになってほしいと思う。
ちゃんと自分のこと好きになってくれる人のことを好きになって、温かい家庭を築けたらいいね。
あと坂口健太郎の演技が上手いなーと思った。
小野くんが徐々にクズ男に豹変していく感じがリアル!
先生から電話がかかってきたとかなんとかで泉と口論になった時、一回汚い言葉で罵倒してからすぐに「あー、ごめんごめん」って謝るところとか、自分でも感情をコントロールできてない感じがよく出てたなーって。本気で怖かった、あそこは。
泉ちゃんも下の名前ぐらい呼んであげたらいいのにね。
柚子ちゃんの死
知らない男に襲われたことが原因で、物語終盤で歩道橋から飛び降り自ら命を絶った演劇部の後輩、柚子ちゃん。
稽古中に男子に肩を掴まれるシーンで怯えているようだったのを見て、男性恐怖症なのかな?と思ったんだけど、こんな壮絶な背景があったとは……。
そのシーンの後の泉のナレーションからも分かる通り、この一件は以前葉山先生に出会う前に屋上から飛び降り自殺をしようとして最終的に生きることを選んだ泉との対比ですね。
あの時彼女を引き留めたものは何だったのか。
柚子ちゃんが死を選んだ今、泉は何を思うのか。
この辺については考えてもよく分かりませんでした。
でも、あの時泉が飛び降りていれば葉山先生と出会うことはなかった。
葉山先生に恋をしたことで泉は大きな傷を負った。でもそれも含めてかけがえのない経験だったと思うんです。
どんな経験も、命を絶ってしまえばもうできなくなってしまうんだなあって思った。
柚子ちゃんが飛び降りる前に彼女から悩みを綴った手紙を受け取ったという演劇部員の男の子が、知っていたのに何もできなかったってうなだれていたのが痛々しかったなあ。
そういえば、泉が命を絶とうと屋上に佇んでいた時も雨が降っていましたね。
あの雨が泉をこの世にとどまらせたのかもしれない。
ラストシーンとエンドロール
就職した泉の後輩社員、宮沢くん(演・瀬戸康史)。
彼は絶対泉のこと好きよね(笑)
あと泉ちゃん、映画の配給会社に就職できたのね、よかったね!
好きなことを仕事にできるってのはいいことだと思いますよ。
それはさておき、「ナラタージュ」とは「回想」のこと。
冒頭では深夜のオフィスで窓の外を振る雨を観ながら泉の回想=ナラタージュに入り込んでいくという始まり。
そして話のラスト、紆余曲折を経てオフィスのシーンに再び戻ってきます。
最後は朝が来て雨もやんでいます。
ちょうど後輩の宮沢君に指摘されたことから、懐中時計に刻まれたメッセージ(「幸せであるように」)に泉が気づくシーン。
葉山が託したメッセージに泉が気づき、過去にとらわれす新しい道を歩んでいくことを暗示しているんですかね。
完全なハッピーエンドではなかったにしても前向きな終わり方で、晴れやかな気分で見終わることができました。
エンドロールも黒地に白文字のごくごくシンプルなものでよかったと思います。
何より曲がよかったですね。
この曲RADWIMPSの人が作った曲なんですね。
↑この予告でちょっと聴けます。
はじめまして 「さようなら」
最初で最後の 「さようなら」
あなたが歌ってた 夏のあの歌の
名前は知らないままで いるね
叶わぬ恋、とか、許されない恋を題材にしたこの作品にあってて、余韻も感じさせてくれるいい曲とエンドロールだったと思います。
終わりに
気づけば長々と8000字近くも書いてしまった。
それくらい色々と考えさせられる映画です。
あれだけ何回も「恋は怖い」って書いた私でも、あのくらい本気で誰かのことを好きになれたらいいな、と思えるような不思議な作品でした。
何よりどこか悲しさを帯びた儚く美しい映像が素敵で、ずっと見ていたいと思える映画だったと思います。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました~!!