映画「マイ・インターン」感想+α|フィクションに“現実味”は必要か?
どうも、郁(かおる)です。
私は映画を観たり本を読み終わった後はネットで解説や考察の記事を読むようにしています。
他の人の考えに触れることによって、作品に対する自分の考えを深めることができ、また自分が思いつかなかった新たな発見をすることができるからです。
「このシーンはこの作品の影響を受けているのか」、「このエンディングにはこういう見方もあるのか」等々、カルチャーに対する知識や理解があまりない私にとって良いことばかりなのです。
先日、映画「マイ・インターン」を視聴したのですが、その時もいつも通りにネットで感想ブログや評価を検索して読んでいました。
その時に少しばかり思うところがあったので、今回はそれについて書こうと思います。
なお、今回の記事は映画「マイ・インターン」のネタバレを含むので、未視聴かつ今後視聴する予定のある方は読まない方が良いと思われます。
目次
『マイ・インターン』について
まずは、「マイ・インターン」について、軽くご紹介を。
ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイのW主演。
あらすじをごく簡単に述べれば、アン・ハサウェイ演じるジュールズが社長を務める若者だらけのファッション通販サイトの会社に、ロバート・デ・ニーロ演じるベンがシニア・インターンとしてやってくる。初めはジュールズはベンを煙たがるが、様々な問題を解決しながら2人は信頼関係を深めていく……、というストーリー。
(要約するのって難しいですね。話の流れを把握する力と表現力が問われる)
念のためこちらが公式のあらすじ。
華やかなファッション業界で成功し、結婚してプライベートも充実、現代女性の理想の人生を送るジュールズ。そんな彼女の部下にシニア・インターンのベンが雇われる。最初は40歳も年上のベンに何かとイラつくジュールズだが、いつしか彼の的確な助言に頼るように。彼の“豊かな人生経験”が彼女のどんな難問にもアドバイスを用意し、彼の“シンプルな生き方”はジュールズを変えていくー。そんな時、ジュールズは思わぬ危機を迎え、大きな選択を迫られることに!
まずは私の感想を
誇りを持って働く人はカッコいい
まず、アン・ハサウェイが綺麗。いい女。
いつかの月9の5時から9時までの石原さとみのコンサバ系ファッションの時も思ったんだけど、やっぱりシュッとしたお姉さんのオフィスカジュアルは最高ね。
私も細身のパンツスタイルにジャケットのスタイルで前髪掻き上げたい。
(ギリ平均身長以下かつ洋ナシ体形の私には夢のまた夢なのであった)
あとやっぱり、自分の信念をもって夢を追いかける人はかっこいい。
アン・ハサウェイ演じる女社長ジュールズは、自身の負担を減らして会社の経営を円滑化するために新しくCEOを雇おうという提案に素直に乗ることができずにいます。
それは「CEOを雇うということは、会社内での最終決定権はそのCEOに与えられるということ。自分の考えで経営方針を決めることができない状況になるかもしれない。それは絶対に嫌だ」という不安によるもの。
ここまで自分の仕事に対してこだわりを持つことができるのって、自分が好きなことを仕事にできているからこそだと思うんです。
自分自身が一番にその仕事に誇りを持っているから、その立場を誰にも譲りたくないと思える。
私はつい最近就職が決まったんですが、就職先が自分の好きなことに関係することかと言われたら正直関係はありません。
それは私が「私にとって仕事はあくまで私生活を充実させるために必要な術なのであって、仕事自体を楽しむことはそこまで重要ではない」と考えているからなのですが、そりゃあもちろん自分の仕事に誇りをもって取り組んでいる人がかっこよくないわけはないんです。素敵です。
素敵なご老人になりたい
次に、ロバート・デ・ニーロ演じるベンのように良い歳の重ね方をしたい。
22歳の若輩者である私から見ても、ベンは素敵な男性です。
物腰柔らかで、周囲への配慮を欠かさない紳士。
女性が泣いているときのために、ハンカチを携帯するのも忘れません。
自由な社風でラフな格好の若者ばかりの社内でも常にスーツを着こなし、持ち物はどれも趣のある年代物。
初めこそ若さ溢れる社内に突如現れたシニアインターンということで浮いた存在として疎まれたりもしますが、ベンの優れた人間性とまさに「人生の先輩」と呼ぶべき経験の豊富さから、あっという間に社内で一目置かれる存在に。
ベン自ら「みんなのおじさん」と自称するように、社内の人気者になります。
ベンの「素敵なおじさん」ぶりに、映画を観た人皆が「こんなおじさん/おばさんになりたい!」と思ったことだと思います。
果たして私はベンと同じ70歳になった時に彼のような豊かな人間性を備えていられるのだろうか。
きっと何も考えずに無為に日々を過ごしていては、そんな人間にはなれないのです。
仕事、家庭、趣味、自分の生涯を構成するすべてに対して真剣に向き合うからこそ、深みのあるお年寄りになれるんだろうと思います。
アメリカの映画、最高!
- 20代の社員が70歳の新人ベンに対してタメ口でフランクに話しかける。
- 他に誰もいない社内で二人で夕食をとるジュールズとベン。ピザを食べながらジュースか何かを1人1本ずつ、ビンに直接口をつけて飲む。(ジュールズはそのドリンクを「くすねてきた」らしい)
- なんといってもジュールズが間違えて母親に送信してしまった、母親に対する悪口を書き連ねたメールを消去するために、ベンと同僚の社員たちの合計4人で母親宅に乗り込むミッションのシーン。「俺たちオーシャンズ11みたいだぜ!」
コメディ映画なだけあって、アメリカンなノリが前面ににじみ出た痛快なシーンの連続。
私は今まで洋画を観る習慣がなかったので「アメリカっぽさ」みたいなものがどんなものであるかとかはそこまでよく分かるわけではないんですが、とにかく楽しい!!
アメリカかぶれの人の気持ちが分かる!
そりゃあこの礼儀を大切にして空気を読むことを良しとする国に住んでいる立場でこういうノリノリの映画を観たら「うぉ~アメリカ人になりて~!!」ってなるわ!
日本じゃシニアインターンの面接に来た初対面のおじいさんにいきなり「ハーイベン、よく来たわね!調子はどう?」とか言わない。しかも20代の若者が。
ネットでの評価を調べてみた
ネットでは概ね高評価!しかし……
以上の感想をもっていつものようにネットで評価や感想を検索して読んでみました。
だいたい評価はまあまあといったところで、特にロバート・デ・ニーロ演じるベンの紳士さに感心し、「自分もこのような歳の重ね方をしていきたい!」と思えるような映画だったという感想を持つ人が多かったです。
ただ、個人的に気になったのが、「ストーリーに現実味がない」という意見がとても多かったこと。
具体的には、「ベンがあまりにもデキる男すぎる」「実際にはこんなにうまくいかない」「これだけ成功している、しかも若者だらけのアパレル会社がシニアインターンを募集すること自体が現実的でない」という批判。
これらの批判に、個人的に疑問を持ちました。
私は洋画に“非現実”を求めたい
洋画の中でも特にこういうコメディ映画は、現実的でないからこそ面白いんではないかと思うんです。
だってこの『マイ・インターン』がもし、シニアインターンのベンが仕事第一の若い女社長ジュールズに煙たがられ、そのまま担当を外され特に仕事を回されることもなく特に会社の中で個性を発揮することもなく、インターン参加前と大して変わらない日々の中で余生を送っていく話だったら、めちゃくちゃつまらないじゃないですか。
まあこれはかなり大袈裟ですけども、特に日本人の私たちがアメリカのコメディ映画に求めているのって、私たちが普段暮らす社会じゃありえないような、陽気でハッピーなアメリカ社会の描写だと思うんです。
もともとアメリカ人向けに作られた映画を日本人が観る限りでは、それで十分じゃないですか。
たしかに私も、日本の映画やドラマで描かれるあまりに非現実的な描写には、あまり良い印象を持たないことが多いです。
もうほぼ確実に助からないだろうと思われていた患者が奇跡の復活を遂げたり、最初はバラバラだったクラスメイトが赴任してきた破天荒な教師の尽力で最後には一致団結したり。
「こんなうまくいくわけないだろ!」
と思うことは多々あります。
でもそれって、今まで私自身がこの日本という国で、同じような状況に遭遇して実際に上手くいかなかった経験をしているから言えることなんじゃないでしょうか。
余命宣告された身内がほぼその通りの時期にあの世に旅立ったり、クラス内に存在するいじめに対して誰もが見て見ぬふりをしたまま卒業を迎えたりした経験があって、実際にそんなに上手くいかないことを身をもって知っているからそう言える。
あまりに楽観的な作り話の世界に対する嫌悪感や怒りに近いですかね。
しかしですよ、洋画となれば話は変わってくるんじゃないですか。
私は日本で生まれて日本に育ち、外国に行ったことも一度もないという住む世界の狭い人間なので、『マイ・インターン』で描かれる状況が実際のアメリカ社会と比べてどうなのかはよく分かりません。
だからこそなのかもしれませんが、この映画を観て「こんなの現実的じゃない!」なんて感想は全く抱きませんでした。
むしろ、「アメリカの映画はやっぱりこうでなくっちゃ!」と思いました。
アメリカの社会に詳しい方から「いくらアメリカといってもこんなのはありえない」と言われてしまえば何も言えないんですが、日本人の感覚に染まった私たちが見る限りにおいては、「現実的であるか、そうでないか」というのは大して重要な問題ではないかと思うんです。
それから、これは余分な考えかもしれませんが、「『マイ・インターン』の世界はアメリカ人の人間性を正しく描いていない!」という感想をネットに掲載していた人たち全員がそういった感想を持てるほどアメリカ人の人間性に詳しいとは私にはどうも思えないのです。
ご都合主義で何が悪い!
それと関係してもう一つ思うのが、ご都合主義、予定調和が果たして悪いことなんだろうかということ。
『マイ・インターン』に関して言えば、「ベンがあまりにデキる男すぎる」という批判。
これは、ベンが周囲に対して完璧な気配りのできる紳士であるからこそ、ベンとジュールズは信頼関係を築くことができ、すべてが丸く収まったということに対するものですかね。
こんなに素晴らしい人間性を持ったおじさんが偶然若者だらけの会社にシニアインターンに入ることが現実的でない、ということだと思うんですが、そんなこと言いだしたらキリがないですよ。
そもそもこの世界には偶然が重なって嘘みたいなことが起きることなんてたくさんあるんです。
友達のいとこが人気アイドルグループの一員だったり、その程度の偶然で「ウソーっ!?」ってなるのに、フィクションの世界で起こる嘘みたいな出来事に対して「ありえない!」って言っちゃうことがすでに野暮なんです。
よくよく考えてみれば、シニアインターンで入ったおじいちゃん実際に働かせてみたらめちゃくちゃデキる人で、しかも頼れるアニキ的なところもあっていつの間にやら社内の人気者!女社長も彼をたいそう気に入った!なんて話、ありえないことではないですよ。
まあ部分的にはフィクションならではの描写がたくさんあることはもちろんですが。
そういう意味で言えば、上述した日本のドラマでの描写、例えば難病の患者が奇跡的に復活、バラバラだったクラスが卒業の時には見事に団結、というのもフィクションとしてみるなら全く問題ないな、と思いました。
そもそも現実にはなかなか実現しないことを仮想的に見る者に体験させることが、ドラマや映画といったフィクションの一つの役割であるとすれば、「ご都合主義」ってものはエンターテインメントにおいてなくてはならないものなんです。
まとめ:フィクションは みんな違って みんないい
5・7・5でまとめてみました。
それはさておき、フィクション作品は作り手の表現ありきなんだから、ご都合主義でもなんでもありなんだってことです。
そもそもハリーポッターみたいなファンタジー映画が「こんなのありえない」って言われることがないように、作り話はあくまで作り話。
ノンフィクションはまだしも、フィクションだということが分かり切ったものに対して現実味のなさを指摘することは無駄な事なのかもしれないっていうのが私の考えです。
自分の周りでも起こりそうな日常を描いた話だって、現実離れした夢のような世界を描いた話だって、それぞれ別の良さがあって、学べることも違います。
だからこそ、いろいろな作品に手を伸ばしたくなるってことももちろんあるし。
何はともあれ、私としては『マイ・インターン』、すごく好きな映画です。
みんなに必要としてもらえる人間に私もなれるように、毎日を過ごしていきたいと思いました。
それでは、最後まで読んでくださってありがとうございました~!